HITORI.

MY PROFILE

特に隠すことなく自分のプロフィールを書きました。

面白い人ですので共通点などがあれば、是非気軽に話しかけてみてください。

プロイール写真

藤田和哉 - Fujita Kazuya

【出身】北海道帯広市

【学校】小樽商科大学(夜間主コース)

【学歴】帯広市立開西小学校 - 帯広市立緑園中学校 - 帯広南商業高等学校

【資格】ITパスポート、全国商業高等学校協会主催検定全種目、普通自動車免許、全珠連暗算1級

【趣味】音楽鑑賞、プログラミング(html,css,js...)、動画編集、楽曲制作、読書、PCゲーム、オーディオ機器、喫茶店巡り etc...

【人生の目標】多くの人の人生に影響を与えて死ぬこと

【考えている職業】商業科教員

【性格】完璧主義、負けず嫌い、3日坊主、最小限主義

【身長・体重】175cm・57kg

【長所】真面目

【短所】感情的になりやすい、人の名前を覚えられない

【好きなアーティスト】山下達郎、Herbie Mann、東京事変、カネコアヤノ、etc...

【好きな偉人】ルネ・デカルト、スティーブ・ジョブズ

【好きな芸能人】大泉洋、ラーメンズ

【好きな食べ物】洋食系(ビーフシチュー、ハンバーグ etc...)

【好きな飲み物】グレープフルーツジュース、珈琲、烏龍茶

【苦手な食べ物】生魚(克服したい)

【好きな菓子】チョコチップクッキー

【プレゼントで欲しいもの】基本的に物をもらうのが嫌い。後に残らない食べ物なら嫌々もらうかも

【座右の銘】全てを疑え(方法序説-方法的懐疑の抽象語)

【アーティスト名義】FujiTanuki

※プロフィールに追加して欲しいことがあれば、下記SNSから連絡お願いします。

MY HISTORY

自分史をまとめてみましたが、そんなに面白くはないです(笑)

今の自分を形成している事柄を覚えている限りで、時系列にまとめてみました。

お時間がある方はご覧ください

幼少期 - 明るく元気な子 -

2001年11月30日 北海道帯広市で誕生

生後3ヶ月でぶくぶく太る

性格は明るく、幼稚園卒業までに撮られた写真はだいたい変顔

姉が大阪に入院していた関係で、祖父母の家にいることが多かった。

カトリック系幼稚園のお遊戯会で主役を演じる。

将来の夢はケーキ屋さんだった。

小学生時代 - 狼少年期 -

低学年の時は、嘘をついて保健室で遊んでいることが多かった。

嘘をつくことが多く、友達に論破されてよく泣いていた記憶がある。

カメ100匹買ってるとか言ってた気がする

授業中に折り紙をしていてよく怒られた。

性格は真面目で明るいが、泣き虫でもあった。

小学3年生の時にピアノを始める。

練習を全くしなかったため上達せずに中2の時に辞める。

小学4年生の時に友達に憧れ、サッカー少年団に入る。

運動系の雰囲気や運動量についていけず1年で辞める。

小学5年生の時にそろばんを習い始める。

同教室の格上の先輩に憧れ、頭の良い人に憧れを持ち始める。

人生で初めて同級生からラブレターをもらう。

全くタイプではなかったため、何を書けばいいかわからず当時好きだったカビゴンの絵を手紙に書いて送ったのは苦い思い出

そろばん教室から自転車で帰宅中、単独事故で顔面強打

前歯が欠け上唇を損傷する怪我だった。いまだに後悔している。

小学6年生の時英語単科の塾に通ったが、それをきっかけに英語に苦手意識を持つ。

 

中学生時代 - 部活のための日々 -

1年次

姉の影響で吹奏楽部に入部。フルートを始める。

入学式の日に初対面の女子に入りたい部活を聞かれ、吹奏楽部と答えたところ、トランペットは私が入るから入るなと言われたのは衝撃だった。ちなみにその時の私はトランペットが第一志望。そう言い放ったのはのちの部長である。

川平晴信(通称:はっち)に出会い、PCゲームにはまる。

YoutuberのHikakinブームに乗り、kazuponTVをタイムラインに上げ始める

今となっては黒歴史だが、動画編集を始めたきっかけになった出来事。

父の影響でオーディオ沼にハマり始める。

父と共に初めて山下達郎のコンサートに参加する。

当時は山下達郎に特別興味はなく、マニアックツアーだったため、知っている曲が流れず爆睡。

2年次

部活動での腹式呼吸の影響からか、一気に痩せ始める。

人生で初めてKitaraで演奏する。

ピッコロが吹けなかったため、2年生ながらに首席だった。

体育のマット運動の際に、三点倒立に失敗し左親指の靭帯を痛める。

これが原因で吹奏楽の選抜予選に2年生で出場することができなくなった。

3年次

部活で副部長、フルートパートリーダー、学生指揮者に任命される。

フルートを本気でやるためフルート教室に通い始める

吹奏楽を引退してから、フルートに対する熱意が覚め高校2年生の時に辞める。

最後の吹奏楽コンクール地区予選で、緑園中学校の全道大会連続出場記録を止める。

副部長として、技術面を中心に取り組んでいたため、相当落ち込んだのを覚えている。

第29回帯広市中学生からのメッセージで奨励賞を受賞する。

本番に出るのが嫌で、精神的に病んでいたところ当日熱がでたため喜んで欠席した。

家が近かったこと、姉が通っていたということを理由に、帯広南商業高等学校に一般推薦で受験し、合格する。

高校時代 - 私自身を知る -

1年次

高校デビューに失敗し、学校祭まで友達ができなかった。

部活はOAビジネス部という情報処理や資格取得のための勉強をする部活に入部

OAビジネス部への入部は、高校生活に大きな影響を与えることとなる。

PCゲームを通して友達ができ始める。

1年生ながら全商プログラミング検定を満点合格する。

全校生徒の前で表彰されたため一躍プログラミングの人となり、学校内での知名度が少し上がった。

親戚の縁からレコーディングエンジニアの早乙女正雄さんと出会う。

音楽関係の職種につくことの厳しさを知り、自分を見つめ直す大きな機会になった。

2年次

テスト勉強のために訪れた図書館で、デカルトの方法序説に関する漫画を見て衝撃をうける

「我思う故に我あり」で有名なデカルトの方法的懐疑の考え方は現在も学習スタイルの基本となっている。

授業中に疑問ノートの作成を始め、授業を聞かなくなる。

これをきっかけに”空はなぜ青いのか”という疑問を持ち、電磁波、音波、光に対する興味へと繋がる。これをきっかけに少しずつ勉強が好きになる。

全国高等学校情報処理競技大会 地区予選で3位を取る。

予想していなかった好成績に、自分に可能性を感じるきっかけとなった

IT・簿記選手権大会 地区予選で個人優勝を果たす。

南商史上初の団体優勝も果たし、先輩方と大阪・神戸を観光したのは良い思い出

ITパスポート試験に合格する。

音楽系のオープンキャンパスに参加したが、レベルの低さに失望する。

3年次

突如進路を、レコーディングエンジニアから高校教員に変更し、部活顧問の出身校である小樽商科大学を志望する。

高校生活の中で顧問:堀内大輔教諭が私に与えた影響はとても大きかった。

北海道情報処理競技新人大会で個人優勝を果たす。

全国高等学校情報処理競技大会 地区予選で個人優勝を果たす。

この結果、全国大会出場のため顧問と2人で広島旅行に行くことになる。広島で食べたご飯は美味しかった...また行きたい。ちなみに大会結果は14位、南商からの出場は顧問:堀内大輔に続き2人目だった。

IT・簿記選手権大会 地区予選で個人優勝を果たす。

同時に2年連続での団体優勝を果たし、後輩と大阪へ向かう。前の年に個人3位だった私が最も尊敬する先輩が残した「1、2位で表彰されたかった...」という言葉を胸に1年間後輩指導に取り組んだ結果、後輩が準優勝を果たし感慨深い大会となった。

全国IT簿記選手権大会で、3位入賞を果たす。

北海道で初めて、全国大会で10位以内に入賞するという結果を残した。

全国商業高等学校協会主催の資格を9つ取得し、全種目合格を果たす。

南商での男子の全種目合格は初。同級生の川田潤也と同時に合格し、学年で複数人全種目合格するのも南商初のことだった。

小樽商科大学夜間主コースを公募制推薦で受験し、合格する。

普通自動車免許を取る。

令和元年度産業教育振興中央会長賞を受賞する。

令和2年度帯広市文化奨励賞を受賞する。

帯広南商業高等学校を卒業

covid-19の影響で卒業式は保護者、在校生がいない中行われた。

大学時代

帯広から小樽に引っ越す

自分の時間を有効に使うべくMYRULESを作成

喫茶店巡りを経て、珈琲にハマり始める。

大学のJazz研究会の演奏を聞き感動。フルートを再開する。

自分の情報開示のため本ホームページHITORI.を開設(html,cssで作成)

※この後の内容も自身の振り返りのため、随時更新予定